当社の揺籃は明治24年故赤澤亦吉が盛岡市呉服町に「赤澤号」という名称の下に紙、文具の卸小売業を開業したのに始まります。
その後卸部門は赤澤紙業有限会社となり、更に名称を変更し岩手紙業有限会社となりましたが、今次大戦の勃発に伴う経済統制により岩手紙統制株式会社に合併 吸収されました。その後、戦後統制の解除により昭和27年7月21日株式会社赤澤紙業(資本金100万円)として紙業界に再発足しました。
創立と同時に東京都文京区春日町に東京支店を開設し中央との連携の強化を計ってまいりましたが、昭和29年6月中井株式会社(現日本紙パルプ商事株式会 社)の支援の下に資本金250万円に増資し、仙台市国分町に営業所を開設し東北の紙業界への進出の足場を築き、その後包装資材部門の強化充実を計り昭和 32年12月資本金500万円に増資しました。
昭和35年7月岩手県経済連とレンゴー株式会社の三社にて東北紙器株式会社を設立し当社の段ボール部門を切り離しこれに合併いたしました。
その後の業績の拡大に伴い、昭和49年5月資本金 1,000万円に増資し、更に昭和50年10月 2,000万円、昭和52年10月4,000万円、 昭和63年7月 6,000万円に増資し現在に至って います。
その後卸部門は赤澤紙業有限会社となり、更に名称を変更し岩手紙業有限会社となりましたが、今次大戦の勃発に伴う経済統制により岩手紙統制株式会社に合併 吸収されました。その後、戦後統制の解除により昭和27年7月21日株式会社赤澤紙業(資本金100万円)として紙業界に再発足しました。
創立と同時に東京都文京区春日町に東京支店を開設し中央との連携の強化を計ってまいりましたが、昭和29年6月中井株式会社(現日本紙パルプ商事株式会 社)の支援の下に資本金250万円に増資し、仙台市国分町に営業所を開設し東北の紙業界への進出の足場を築き、その後包装資材部門の強化充実を計り昭和 32年12月資本金500万円に増資しました。
昭和35年7月岩手県経済連とレンゴー株式会社の三社にて東北紙器株式会社を設立し当社の段ボール部門を切り離しこれに合併いたしました。
その後の業績の拡大に伴い、昭和49年5月資本金 1,000万円に増資し、更に昭和50年10月 2,000万円、昭和52年10月4,000万円、 昭和63年7月 6,000万円に増資し現在に至って います。